国立西洋美術館 The National Museum of Western Art, Tokyo |
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ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン美術館展 |
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パブロ・ピカソ(1881-1973)、パウル・クレー(1879-1940)、アンリ・マティス(1869-1954)、アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966) |
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Masterpieces from Museum Berggruen / Nationalgalerie Berlin |
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ベルリン国立ベルクグリューン美術館は、ピカソ、クレー、マティス、ジャコメッティという 20 世紀の 4 人の巨匠を中心とする個性的なコレクションを所蔵しています。 |
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会期: 2022 10/8 [土]~2023 1/22 [日] 東京展は終了しました。 |
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※大阪・巡回展 |
'2022 10_7 「ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン展」 のプレス内覧会の館内風景の取材と、図録・資料などからの抜粋文章です。 |
プレス・セレモニー 「ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン」展 |
左側から 「展覧会キュレーター、担当研究員紹介」 |
ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン美術館展 |
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【展覧会の見どころ】 ― 「ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン展」 図録、プレスリリースなどからの抜粋文章です ― |
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ベルリン国立ベルクグリューン美術館のコレクション(ベルクグソューン家による多数の寄託作品を含む)は、パブロ・ピカソ(1881-1973)、パウル・クレー(1879-1940)、アンリ・マティス(1869-1954)、アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)という 20 世紀の 4 人の芸術家に焦点を当てているところに、際立った特色がある。 |
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さらに、この4 人の作品を補完するものとして、彼らがいずれも私淑したポール・セザンヌ(1839-1906)と、ピカソのキュビスム時代の盟友ジョルジュ・ブラック(1882-1963)の作品が加えられます。 |
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「ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」 の展覧会、全 序 ・ 7 章の構成。 |
稀代のコレクターが選び抜いた 20 世紀美術のエッセンス、 日本初公開作品は 76 点 ! |
'2022 10_7 「ピカソとその時代―ベルリン国立ベルクグリューン展」のプレス内覧会の館内風景の取材と、図録・展覧会パネル、資料などからの抜粋文章です。 |
・画像をクリックすると 「Ⅰ. セザンヌ―近代芸術家たちの師」 の章のページが大きな画像でご覧いただけます。 |
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序. ベルクグリューンと芸術家たち |Introduction: Berggruen and Artists |
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・No.1 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 眠る男 》 1942年 墨、紙 50 x 65 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館、ベルクグリューン家より寄託 / ・No.2 アンリ・マティス(1869-1954) 《 パリ、ベルクグリューン画廊の展覧会(1953 年)のためのポスター図案 》 1952 年 グアッシュ、紙、画用紙 55 x 40.3 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 |
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・No.1 パブロ・ピカソ 《眠る男》 本作品には 1942 年 12 月 13 日の日付が記されている。 当時、パリを含むフランス北部はナチス・ドイツによる占領下にあり、ピカソは作品の発表を禁じられ、ゲシュタポの厳しい監視のもとで制作を続けていた。 この素描は、ハインツ・ベルクグリューンが 1952 年に詩人ポール・エリュアールから購入した後、自分自身のコレクションに加えた最初のピカソ作品である。 / ・No.2 アンリ・マティス 《パリ、ベルクグソューン画廊の展覧会(1953 年)のためのポスター図案》 マティスの切り紙絵は、独立した作品としてというよりも、 美術雑誌『ヴェルヴ』 の表紙や、アートブックである「ジャズ」、あるいはタペストリーとして制作された。 |
・画像をクリックすると 「Ⅲ. 両大戦間のピカソ―古典主義とその破壊」 の章のページが大きな画像でご覧いただけます。 |
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Ⅱ. ピカソとブラック―新しい造形言語の創造 |Picasso and Braque: The Invention of a New Formal Language |
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・No.8 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 ジャウメ・サバルテスの肖像 》 1904 年 油彩、カンヴァス 49.5 x 37.5 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・No.9 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 座るアルルカン 》 1905 年 水彩・黒インク、厚紙 57.2 x 41.2 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・No.10 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 女の頭部 》 1906-07 年 テンペラ・黒インク、紙 62 x 47 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 |
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・No.9 《座るアルルカン》 1905 年、ピカソの絵画は沈鬱な青から柔らかなバラ色へと大きな変化を遂げることとなる。 この前年、バルセロナを離れパリに定住することを決めたピカソは、やがてモンパルナスにあったバトー・ラヴォワール(洗濯船)と呼ばれる集合住宅に移り住んだ。 まるでセーヌ川に浮かぶ洗濯船のような古くて狭いこの住まいには、駆け出しの芸術家たちが身を寄せ合うように暮らしていた。 ピカソはこの場所で、多くの画家、詩人、画商、批評家らと交流を持ち、その交友関係を広げていく。 ここでの新たな恋人でモデルのフェルナンド・オリヴィエとの暮らしは貧しくも穏やかなもので、ピカソの絵画の温かな色調への変化は、その生活を物語っているかのように見える。 |
・画像をクリックすると 「Ⅴ. クレーの宇宙」 の章のページが大きな画像でご覧いただけます。 |
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Ⅳ. 両大戦間のピカソ―女性のイメージ |Picasso Between the Wars: Images of Women |
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・No.41 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 緑色のマニキュアをつけたドラ・マール 》 1936 年 油彩、カンヴァス 65 x 54 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・44 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 横たわる裸婦 》 1938 年 グアッシュ・ペン・インク、紙 26 x 34 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・No.48 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 女の肖像 》 1940 年 油彩、カンヴァスに貼った紙 64 x 46 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・No.49 パブロ・ピカソ(1881-1973) 《 大きな横たわる裸婦 》 1942 年 油彩、カンヴァス 129.5 x 195 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 |
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・No.41 《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》 1935 年秋から 1936 年初頭に、ピカソは友人で詩人のポール・エリュアールに紹介され、新進気鋭のシュルレアリスムの写真家ドラ・マールと知り合った。 ほどなくしてドラはピカソのパートナーとなり、新たなミューズとして彼の創作意欲をかき立て、1936 年の夏頃からその姿がピカソ芸術の中に現れ始める。 本作は、同年秋に描かれたドラの一連の肖像画の中でも、ピカソの彼女の容姿に対する強い関心を示し、その強烈な個性と美しさをみごとに捉えた 1 点である。 / ・No.49 《大きな横たわる裸婦》 1940 年 6 月、ドイツの侵攻にあえなく敗れたフランスは、ドイツとの休戦協定を結ぶ。 以後 1944 年 8 月のパリ解放までの 4 年間、ピカソはフランスでの作品発表を禁じられ、要注意人物としてゲシュタボの監視下に置かれながら、グラン=ゾーギュスタン通りのアトリエでひっそりと制作を続ける。 多数の芸術家がアメリカへ亡命し、あるいはナチス・ドイツの美術政策への妥協を示す中で、彼はパリに留まって自分の作品を作ることに専念した。 ピカソは 1941 年から 42 年にかけて、横たわる裸婦という伝統的な主題に取り組んだ。 |
・画像をクリックすると 「Ⅶ. 空間のなかの人物像―第二次大戦後のピカソ、マティス、ジャコメッティ」 の章のページが大きな画像でご覧いただけます。 |
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Ⅵ. マティス―安息と活力 |Matisse: Repose and Vigor |
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・No.90 アンリ・マティス(1869-1954) 《 ニースのアトリエ 》 1929 年 油彩、カンヴァス 46.5 x 61 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 /
・91 アンリ・マティス(1869-1954) 《 青いポートフォリオ 》 1945 年 油彩、カンヴァス 55.3 x 46.7 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 / ・93 アンリ・マティス(1869-1954) 《 オパリンの花瓶 》 1947 年 墨インク、紙 49 x 64 cm ベルリン国立ベルクグリューン美術館 |
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・No.90 アンリ・マティス は 1921 年に、それまで滞在していたニースのホテルから、シャルル・フェリックス広場 1 番地の建物に部屋を借り、さらに 1926 年の秋以降この建物の最上階にアトリエを持ち、28 年の初め頃までには最上階全体を占有することになる(Washington 1986/1987, p.36)。 この最上階のアトリエは海に面した広い窓とバルコニーのある部屋で、壁は白いタイルのようなパターンで覆われていた。 マティスはこのアトリエを 1938 年まで使い、ここでモデルを使ったヌードを含め、いくつもの作品を描いている。 |
'2022 10_7 「ピカソとその時代―ベルリン国立グリューン美術館」 展のプレス内覧会の館内風景の取材と、図録・資料などからの抜粋文章です。 |
・画像をクリックすると 「ガブリエル・モントゥア博士の展覧会説明」 の場面が大きな画像でご覧いただけます。 | |
ベルリン国立ベルクグリューン美術館 Museum Berggruen, Nationalgalerie - Staatliche Museen zu Berlin |
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Heinz Berggruen at his apartment in Paris, 1971 © Berggruen Archire ハインツ・ベルクグリューン パリの自宅にて 1971 年 | |
ベルクグソューン画廊の展覧会 パリ 7 区ユニヴェルシテ通りのベルクグソューン画廊では、1952 年から、年に数回の企画展が開かれた。 1952 年 2 月に行われた最初の企画は、ベルクグソューンがこよなく愛したパウル・クレーの版画展があり、それに続いて、同年夏にマティスの版画展、1953 年春に 「アンリ・マティス: 切り紙絵」 展が開かれている。 彼のコレクションの中核となるピカソの展覧会も 1954 年春の 「ピカソ: 素描 1903-1907 」 展以後、たびたび開催されました。 また、これらの企画展にあわせて、縦 22 x 横 11.5㎝という小さな半型の、装いを凝らしたカタログが発行されている。 特に初期のカタログは、画家の作品をリトグラフやボショワール(型紙摺り) によって再現した美しい表紙が特徴である。 ベルクグソューンの美術品収集の原点は、このような美術商としての活動にある。 彼は多数の作品を売買する仕事の中で、自分が本当に気に入ったものだけを手元に残すことによって、粒よりのコレクションを少しずつ作り上げていったのである。 | |
ハインツ・ベルクグリューンとベルリン国立ベルクグリューン美術館 | |
ハインツ・ベルクグリューン(1914-2007) はベルリンでユダヤ人の家庭に生まれ、1936 年、ナチス政権の抑圧を逃れてアメリカに渡り、評論や美術館勤務を通じて美術に親しみました。
第二次世界大戦後はパリで画廊を経営し、世界的な画商となります。 ピカソ、マティスなどの作家や文学者たちと親交を深めながら、敬愛する少数の作家の作品収集に打ち込み、一貫性のある個性豊かなコレクションを作りあげました。
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ヨアヒム・イェーガー博士(ベルリン国立新ナショナルギャラリー副館長【前館長】) | プロフィール |
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ガブリエル・モントゥア博士(ベルリン国立ベルクグリューン美術館統括責任者) | プロフィール |
お問合せ:050-5541-8600 (ハローダイヤル) |
参考資料:「ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」図録・ 展覧会表示パネル、報道資料、チラシ など。 |
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